クラクラとの出会いPart2

皆様、お疲れ様です。

ゆうです。

昨日の更新はクラクラを始めてクランに入るまでを書きましたので、続きを書こうと思います。

お付き合い下さいませ。

『川崎市民2014』というクランの門を叩いたのはth7くらいだったかな。

定員に近いメンバーがいて、活発なクランてこんな感じなんだ!と感激しました。

援軍はすぐ入る事にまず驚きました。

申請もユニークで『高津に援軍お願いします』とか『新百合ヶ丘にお恵を!』

とか住んでる地域名入れてみんな申請してました。

自分もそれにならって、援軍申請していたのを覚えています。

このクランはデータが飛んで下がっていたモチベを持ち上げてくれました。

ただこのクランには決定的な欠点があって、対戦がすこぶる勝てない。

何故かというと、攻め残しや早あげばかり。

勝つ事よりも対戦を毎日回す事に重きを置いてるクランでした。

当初は勝つ事なんてどうでも良くて対戦で貰える報酬目当てに自分も参加していたので、深く感じていなかったのですが、クラクラをやっていく中で、自分の楽しい事=したい事は対戦やるからには勝ちたいなという気持ちが芽生えたのもこの頃でした。

自分の中でそういった気持ちがある事に気付いてからは、勝つ為に色んな声掛けをしました。

当時クラン戦参加不参加の設定はなかったような気がします。間違ってたらごめんなさい。

なので、皆攻撃しましょう!をとりあえず連呼してました。

ただ、リーダーがそもそもイン率低くて、あまりやる気がない。

たまにインしたリーダーに『攻め残し多いのでクランメール使って声掛けましょうよ!』

と声を掛けたら『そんな機能あったっけ?』と返されるくらいゆるゆるです。

その時は特に何も思わなかったのですが、負けると分かって挑むクラン戦が段々苦痛になってきて、抜けますとリーダーに一言だけチャットで残し、川崎市民2014を脱退。

とりあえず皆良い人ばかりで名残惜しかったですが、それよりもクラン戦に勝ちたい気持ちが強くて、脱退を選びました。

抜けた後は適当なクランをフラフラしましたが、家を失くしたような気持ちに陥り、同じように良い人ばっかでそこそこ勝てるクランないかなぁと、一種の家探しをしました。

そんな時ふと、あのホーム感は地元クランだったからではないのか?という推察を元に、改めてクラン検索で『川崎』を入力し、検索ポチ。

その時入る事を選んだのが、後にリーダーをやらせてもらう事になる『川崎市民 戦略研究所』です。

よくオフ会で

『ゆうさんは地元愛が溢れてクランまで建てちゃったんですね!』

とか

『クラン建ててどれくらい経つんですか?』

とかよく聞かれてたのですが、ここまで読んで頂いた方は既にお分かりかと思いますが、川崎市民 戦略研究所は私が創設したクランではありません。

私は外様リーダーでした。

そんなこんなで川崎市民 戦略研究所へ入所。

当時恐らくth7。

th10までしかなかった時代、当時クランを纏めていたのはth10カンストの女性リーダーでした。

どうしてこのクランに来たの?と聞かれ、川崎市民2014にいた事を吐露。

すると、2014にいたのねwと何か知ってそうな反応だったので、よくよく聞いてみると、リーダー含む幹部は元々川崎市民2014の出身。あまりにもグダグダなクラン過ぎて、クラン分裂を決意、ルール作って、対戦勝てるクランを作ろう。そう思って作ったクランが川崎市民 戦略研究所。

ああ、なるほど。勝てるクランを作りたい。その強い思いから生まれたクラン名が『戦略研究所』なのね。とその時クラン名の由来を知り、少し愛着を持ち始めました。

と、こんな感じで川崎市民 戦略研究所へ入ったのでした。

今回はこの辺にして、次回は川崎市民 戦略研究所~あの有名クランへ移籍!を書きたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

ではまた!

ゆう

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